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やがて、他の避難所にいる人々も一平がやってくるのを心待ちにするようになっていた。そして、子どもたちだけではなく、自分たちの安否情報を他の地域の人たちに知らせたい大人たちも、スケッチブックに名前を書き、カメラの前に立った。
一平は数冊のスケッチブックを抱えて、避難所から避難所へと走り回った。
道路が寸断され、ガソリンも不足していたので、ほとんど徒歩だったが、かつて日本中の山に登って鍛えた足腰の頑健さは50を過ぎても健在だった。
政府による救済は遅々として進まなかったが、自衛隊や警察、消防による献身的な救助活動や復旧作業、徐々に集まり始めた救援物資のおかげで、被災民たちの表情にも、ようやく明るさが戻りかけていた。
そうなれば一平得意の軽口も出てくる。
おばあさんのことは『お嬢さん』と呼び、小さな女の子を『レディ』と呼びながら、絶妙の前振りでリラックスさせてカメラの前に立たせた。
ある人は子どもを失い、ある子どもは親を失っていたけれど、それでもみんな懸命に生きようとしていた。
そして一平は、あらためて日本人こそ、世界で一番前向きで明るい民族だと確信するのだった。
日本人は危機に強い。危機になればなるほど真価を発揮するのだ。
やがて、テレビ各局が一平を真似て被災者情報を流し始めたので、一平は一度東京に戻るとCMに出演している食品メーカーの社長に直談判し、野菜ジュースを大量に支援物資として送ることを約束させた。
ほとんど被災者たちと同じ食事で過ごしてきた一平は、おにぎりや菓子パンが中心で、野菜が徹底的に不足している現地の栄養状況を憂慮していたのだ。
また、大手自転車メーカーと交渉し、自転車の支援を取り付けた。
被災地の交通状況の絶望的な悪さは一平自身が身を持ってわかっていたし、自転車が有効な移動手段になることを肌で知っていたのだ。

一平はあらためて支援物資をトラックに積み込むと、自らのスタッフとともに再び東北へと向かった。
被災者たちも一平が戻るのを心待ちにしていた。
四半世紀にわたる芸能活動で、一平の銀行預金口座には、すでに10桁の金が貯まっていたが、一平は今回の大震災の支援に全財産を使ってもいいと思っていた。
被災者たちはすべての財産を失い、ある者は家族を失い、それでも再び立ち上がろうとしているのだ。
奇しくもキリのよい50歳になっていた一平も、もう一度イチから人生をやり直してみようと思った。
お笑い芸人として再スタートを切るのか、別の道を歩むのかはまだ決めていない。
男一匹、どうにでもなる。
いや、そろそろ結婚するのもいいかもしれない。そして子どもを作るのだ。
被災地で多くの健気な子どもたちと接することで、一平は生まれて初めて、自分の子どもを持ちたいと思い始めていた。
苦難をまのあたりにして、人は家族のぬくもりを渇望するのかもしれない。
日本は、東北は、そして自分もまた歩き始める。
かくして一平の新たな挑戦が始まった。
人生を前向きに歩くためには、難しいものなど何もいらない。金も地位も名誉さえも。
一平にとって必要なものは二つだけだった。
それは…燃える心とたゆまぬ努力。
(燃えろ一平!プロローグ編 おわり)

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2011.09.20 Tue l 燃えろ一平!プロローグ編 l コメント (0) l top