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一平と別れた後も女たちはその快感が忘れがたく、機会があれば一平にセックスをねだり、事情さえ許せば一平も喜んで抱き合った。
ただし、相手が結婚していたり、ステディーな彼氏がいる場合はやんわりと断ったし、また自分自身に付き合っている女がいる時にも、やはり断った。
一平は、意外や古風な倫理観の持ち主で、なにより『浮気』を嫌ったのだ。

そんな『常勝将軍』が、40歳を越えた頃、突如休養を宣言し、すべての番組を降りてしまったのだから、テレビ界は騒然となった。
詳しい理由がわからず、マスコミには『胃ガン説』だの『うつ病説』などが、まことしやかに流れたが、内実はただ時間から解放されて思いっきり眠りたかっただけだったりする。
一平はこの15年ほどの間、ほとんど休みを取ることなく平均睡眠時間3~4時間で走り続けて来たのだ。
彼は、昼間は西麻布にある自宅マンションでゴロゴロして過ごし、夜になれば芸人仲間たちと飲み歩く毎日を過ごした。
女性関係も相変わらずで、高級ホテルのバーに今をときめく若き歌姫・桐野摩耶をエスコートして現れたりして、休養中とは言え芸能マスコミも油断が出来なかった。

ただし、一平がおとなしくしていたのも半年ほどに過ぎなかった。
充分な休養を取った一平は、懇意のプロデューサーにかねてから暖めていた企画を持ち込み、念願の実現化に向けて動き始めた。
四国徳島出身の一平は、かねがね四国八十八ヶ所参りを徒歩で成し遂げたいとの夢があったのだが、そこにカメラを同行させようというあたり、やはり根っからのテレビ芸人のようだ。
一平は、お遍路装束に杖を突き、一番札所の霊山寺から一人で歩き始め、それをただひたすらカメラが追うという番組がスタートした。
交通量の多い国道を、排気ガスに苦しみながら歩き、一転、獣道のような険しい山道を息を切らせながら登り、足がすくむような断崖絶壁を海風に吹かれながら渡った。
そして、厳しい自然からのご褒美のように、得も言われぬ美しい風景が、突如目の前に現れ、一平(とカメラ)は、思わず足を止めて見入るのであった。
そんな苦労を重ねながらたどり着いた寺々は、まさに浄土の如くで、一平はお参りをして般若心経を唱えると、一般の参詣客に並んで納経帳に朱印をもらった。

途中一度体調を崩して、病院で点滴を受けたりはしたものの、1ヶ月あまりで1200キロを歩き切ったこの巡礼番組は、自然との格闘や調和、八十八ヶ寺や地域の紹介も魅力だったが、なんと言っても『人たらし』の名人、川添一平のトークが冴え渡った。
一緒にお遍路を回る老人たちと気さくに声を掛け合い、遠足の小学生の集団とじゃれ合い、ある時は朝市に紛れ込んで現地のおばちゃんたちと白菜の叩き売りに興じ、宿泊した質素なお遍路宿では、同宿の老若男女と明るく酒を酌み交わした。
そして、お寺での法話の最中に絶妙のツッコミを入れて、大僧正を思わず爆笑させたりした。
最後の八十八番目札所大窪寺では、千人を越す人々と地元中学のブラスバンドに迎えられ、スタート時から5キロ痩せた一平が現れたのだが、もちろん待ち構えたファンたちを笑わせるサービスも忘れず、石段の途中で滑って見せた。
半年掛けて88の寺を紹介したこの番組は、なんの派手な演出も無いにもかかわらず大きな話題となり、さっそくDVDや関連書籍も発売され、世に空前のお遍路ブームが訪れた。
一平を真似て、完全徒歩で結願(けちがん)を目指す自分探しの若者もいれば、のんびりバスでお参りして回る年輩者もいた。また、自転車やバイクで回る巡礼も、若者を中心に流行した。
お遍路ブームに便乗して、旅行会社は東京や大阪発の観光ツアーを組み、四国各県はお遍路観光客を迎えるため、早急にお遍路道を整備して、ブームはさらに高まりを見せ、四国各地を賑わせた。

これに気をよくした一平は、次の企画としてJR全駅各駅停車の旅をスタートさせたが、これは事前に情報を察知したファンが駅に殺到することになり、危険を感じたJR側から中止要請が来たため、泣く泣く途中打ち切りとなった。
それではと、一平は続いて東海道五十三次、そして中山道六十七次徒歩紀行を敢行。歩きながら地元の文物を紹介し、周辺の名所旧跡も含めて全行程を徒歩で歩き切り、旧街道ブームとともに、世に空前のウォーキングブームが訪れた。
(つづく)

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2011.09.18 Sun l 燃えろ一平!プロローグ編 l コメント (0) l top

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